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欠陥人間の考えたことを綴っていくよ

自傷メンヘラ堕落ニート転落人生

この記事は 自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 2日目の記事です。

どうもメンヘラクソ女ニートこと@hg0_です。昨年のアドベントカレンダーの記事では、仕事のことや性別のことなどについて書きました。「自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019も楽しみにしています」と〆たあの記事から、もう一年。年齢に比例するように時間の流れが加速度的に早くなっていくのを、身に染みて感じています。

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今回も、2019年のまとめとして、ある程度長い期間の出来事について、好きなだけ話そうと思います。正直、今年は本当に色々なことが起こり過ぎて、何から書いたら良いのか全く分かりません。それくらい滅茶苦茶な生活をしてきました。

……就職して上京したと思えば、仕事で鬱が悪化し、自殺未遂とODと自傷行為を繰り返し、親友だと思っていた友達を2人も失い、仕事をやめてニートになり、毎月の収入も家賃を余裕で下回るサマ。

実際、あまりにも生活が苦しくて、今日という日まで生きられるか分かりませんでした。このアドベントカレンダーの枠をいただいた時も、記事を書けないかもしれないと思っていたし、自殺が未遂に終わっていなければ、今頃死んでいる予定でした。

そんなメンヘラニートの1年間に興味のある物好きな方がいらっしゃいましたら、どうか私の自分語りにお付き合いください。

昨年の記事のあらすじ

大学卒業後も就職先が見つからず、「研究生」として大学に籍を置きつつも、心の性別と身体の性別の不一致(いわゆる性同一性障害)に悩んでいた私は、男性のアルバイトとして物流業者で肉体労働をしていた。月日は流れ、2018年の秋。知人の紹介により、ようやく東京のIT系ベンチャー企業でエンジニアの仕事を得ることができた。物流業者のアルバイトは退職し、まずは試用期間のアルバイトとして、フルリモートで自宅から働くことになった。その後、無事に4月から社員として働けることが決定。上京し、女性として生きていくことを決意した——。

上京

昨年の12月頃から物件探しを始め、年が明けて今年の2月。無事、都内のマンションに引っ越すことになった。服装や化粧、女性ホルモンの錠剤や注射などで、既に見た目も女性的だった私は、親から授かった男性的な名前が気に入らず、改名を考えていた。改名には、「通称名」としてその名前が使用された実績や、その名前として自分自身が認知されている証拠が必要になる。この引っ越しの電気・水道・ガスなどの契約の際から、自分で考えた「通称名」を名乗るようになった。

性別のことについては、その時は両親に話してはいなかった。親から授かった身体の性別や名前を捨てて変えようだなんて、親に悪いと思っていた。そのためか、実家の居心地も悪かった。

余談だが、後から聞いた話によると、女性ホルモン剤サプリメントを飲んでいたことは、実家の自室のゴミなどから察されていたようだった。おまけに、引っ越しに付き添ってもらった父親には、ガスの立ち合いのサインをする際に名前を見られて、その時点で「私が女性になろうとしている疑惑」は確信していたらしい。両親共にネトストまでしてくるような人間だったので、自分の子どものことが気になって仕方がない性格だったんだと思う。

そんな状態だったので、一人暮らしを始め、両親の監視下から解放され、物理的な距離も離れて、だいぶ気持ちが楽になった。東京都内に帰る場所があることも、幸せに思えた。

鬱の悪化から自殺未遂、そしてニート

社会人は週5で8時間、休憩も入れると実質9時間労働しなくてはならない。物流業者のアルバイトは週3で5時間だったので、正社員になる前から、なかなかキツそうだなと思っていた。フルフレックスで、リモート勤務OKだったのが救いだった。社員登用されても、「毎月の規定の労働時間に足りなかった時間分が欠勤扱いになり、給料から引かれる」というシステムだったので、その点ではわりと気楽に働けたと思う。もちろん服装や髪型も自由なので、出社時には毎回好きな格好をして行っていた。オフィスでも、性別についてあれこれ言われることや、マイノリティに対する偏見みたいなものは無かったし、正社員になった際に、名刺も通称名で作ってもらうことが出来た。

しかし、やはり週5で9時間労働する生活は厳しかった。仕事の特性上、「他の人の作業が終わるまで自分は何も出来ない」というような状態に陥ったりもした。その場合でも、他人に「はよやれや!」と声を掛けて急かすわけにもいかない(というか私はそういった発言が出来る性格ではない)し、作業がないのにパソコンの前でぼーっとしているわけにもいかず、出勤して給料をもらっている以上は、何か他に出来ることを探して、手を動かして作業をしている状態でないといけない、と感じていた。会社はレベルの高い技術者の集まりで、趣味で少しプログラミングを触っていた程度の自分には、未熟すぎて行き詰まることも多く、給料をもらうほどの価値が自分にはないと思った。他人とのコミュニケーションも苦手だったし、職場の人間関係でのトラブルも何度かあり、いち社会人として仕事をすることに対しての厳しさを感じ始めた。そして、やがて毎月の規定の労働時間数に足りなくなり、次第に月給も下がっていった。

もちろん、家賃やカード代は自分の給料から引かれていく。ある月には給料が家賃を下回ることもあった。この仕事を始める前から鬱の傾向はあったが、本格的にそれが悪化し始めた。この頃から睡眠薬や市販薬のODにハマり、一時的なつらさをそれで紛らわせようとした。海外から輸入した睡眠薬を、酒で10錠くらい流し込む。数日に一度くらいの頻度でやっていただろうか。

そして、梅雨も明けて本格的に夏が到来しようとし始めた7月のある日。とうとう人間関係がトリガーとなり、自殺未遂をする。

泣きながら、意味もわからず、衝動的に眠剤を100錠流し込んで、昏睡状態に陥った。多分、18時間くらい眠っていたと思う。次に目が覚めたのは、消防隊と警察がベランダの窓から入ってきた時だった。

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実際、自殺未遂自体はそれ以前にもしていた。私は馬鹿なので、たくさん眠剤を流し込んだら、永眠できると思っていた。そんなわけはないんだけれど。

これをきっかけに、友人からメンタルクリニックに行くことと、休職して「傷病手当金」をもらって生活することを提案される。うつの診断書をもらい、それを提出することで、毎月の給与の代わりに傷病手当金が基本給の3分の2もらえる、というようなシステムだった。その額が毎月安定して手に入るなら、生活も大丈夫だろうと思い、私は休職を決心した。

こうして、私のニート生活が始まることになる。

長い長い夏休み

仕事をする必要がなくなったところで、気持ちが楽になるかといえば、そうではなかった。毎日布団で横になってスマホを弄り、SNSを眺めて寝るだけ。本当にそれくらいしかすることがなかった。予定もなければ自分から外に出る気も起きず、友人も少なかった私は引きこもりになった。週に2回ほど、食料の調達に行っていた程度だろうか。他は、ベッドとトイレと、煙草を吸うためにベランダを行き来するだけ。月に数回ほど友人に会って、一緒に飲みに行ったり、買い物に行ったり出来たのが、自分のメンタルの救いだった。

もちろん、メンタルクリニックにも通い続けていた。病院で出された薬も、毎日用法用量を守って飲み続けていたが、鬱が改善する気配はなかったし、ODはもはや常習化していた。

ただ、悪いことだけではなかった。引っ越しをしてから通称名を使い始めたので、8月に入る頃には、半年分ほどの使用実績があった。私はいよいよ、「改名」をする決意を固めた。ジェンダークリニックに行って性同一性障害の診断書をもらい、両親にも電話でカミングアウトした。「やっぱりそうだったのね」と言われてしまったが、意外にも快く受け入れてもらえて、改名についての同意も得られた。

必要書類を集め、家庭裁判所に申し立てをした1ヶ月後。ようやく裁判官と面談をした。そして、審判の結果、無事に改名の許可が下りたのだった。

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かくして私は、戸籍上の名を、女性の名前に変更したのであった。新しい氏名は周りからの受けもよく、「綺麗な名前だ」、「響きが良い」、などと言ってもらえて、本当に嬉しかった。今まで、身分証明書の提出を求められるような場面で、見た目の性別と名前が合致しておらずに不審に思われたり、追加の身分証を提示しろ、と言われたことが何度もあったので、戸籍上の名前を変更できたのは本当に良かった。何よりも、自分で考えた名前を堂々と名乗れるのは、お得だ。この一年で一番幸せな出来事だったんじゃないかと思う。

……が、この改名の影響で、まさか後々つらいことになるとは、自分でも思っていなかった。

給料マイナス、病院に行けない

会社にも改名の件を伝え、私の唯一の身分証だった保険証を、新しい名前に書き換えてもらうことにした。

……そういえば、申請した傷病手当金が、未だに振り込まれていない。実は、休職し始めた翌月から、基本給が毎日欠勤した扱いで全額打ち消されて0円、さらにそこから保険料と年金が引かれて、総支給額がマイナスになっている給与明細が、毎月届いていた。担当の方によれば、これは傷病手当金から差し引いて振り込みます、ということだった。

7月に休職をし始めてから、私には収入がない。傷病手当金の申請を先延ばしにしていた私も悪かったと思うが、そろそろ現金が尽きてしまう……。これまでに何度か、パートタイムや派遣などの仕事をすることも考えたが、休職して傷病手当金を受給している間は、副業は出来ないことを知った。貯金を崩して生活していく、そうするしかなかった。

一方で、保険証の名前の書き換え手続きは、順調に進んでいたようで、保険証の書き換えのために、保険証を会社に送り返す必要があるとの連絡があった。私は次の月の傷病手当金の申請書類と一緒に、保険証を会社に送った。

そして10月の末になり、ようやく傷病手当金の振り込みの連絡が来た。だが、その金額は想像を絶するほど低く、家賃を余裕で下回っていた。先述の通り、傷病手当金は「基本給の3分の2」だったはずなのだが、欠勤の多かった私にはそのルールが適用されなかったのだろうか……。それにしても、これまでの手取りの平均額に3分の2を掛け算したとしても、その金額よりは多くなるはずだった。

残念ながら、審査基準や計算方法は公開されていないとのことで、理由はわからなかった。このときも、果てしない自殺衝動に呑まれ、ODだけではなく、アームカットリストカットも繰り返すレベルになってきた。

それから、1ヶ月近くが経った。新しい名前の保険証は、未だに送られてこなかった。薬もそろそろなくなるので、また病院に行かないといけない時期になってきたものの、保険証が手元にないため、病院には行けなかった。とりあえず10割負担で支払い、保険証が手に入ったら、後から7割を返金してもらえばいい話なのだが、貯金を消費し続けている状況で、いつ返ってくるかわからない保険証を待ち続けている状態で病院に行き、万単位の金額を現金で払うのはリスクがあった。そうして、病院で出された薬は底をついた。その間に自分のメンタルはどんどん悪化し、今まで抗うつ剤や安定剤で、辛うじて精神を保って生きていられる状態だったことを知った。眠剤もなくなったため、眠れずに、夜通しずっと自己嫌悪と闘う夜もあった。

この頃が、今年のメンタルのつらさのピークだっただろうか。金もなくなり、希望もない。過食、大量飲酒、喫煙、OD、リストカット、……私はそれらを繰り返すだけの機械になった。生×保護の受給まで周りに奨められ、一度本気で考えて、役所に相談にまで行ったが、今住んでいるマンションの家賃が基準より高いため、転居指導や、所有している物を売却するような指導が入るとのことだった。引っ越すか、復職するか、あるいは実家に帰るか、……というところで悩みに悩んだ。

また、過食を繰り返したせいで、夏に比べて体重が10キロ近く増え、去年の冬に着ていた服がかなり窮屈に感じられるほど太ってしまった。今まで着ていた好きな服も着れなくなった。これらが、鬱と引きこもりを更に加速させた。引きこもっていたら運動をしないし、また過食を繰り返して余計に太るばかり、という負の無限ループである。

なぜ自傷行為に走るのか

過食、大量飲酒、喫煙、OD、リストカット……。全部身体に良くないし、負担がかかる。これら全部ひっくるめて、私は自傷行為だと思っている。ではここで、自分から進んで自傷行為する理由って何だろう、と改めて考えてみる。たぶん、私の答えは3つ。

  1. 自己否定のため。自分が嫌いだから、自分自身を傷つける。「生きたくないから、少しでも死に近づきたい」といった気持ちもあるのかもしれない。
  2. 自分のつらさを紛らわせるため。例えば、腹がはち切れそうなくらいに過食して、吐きそうなくらいに苦しくなれば、自分の「つらい」という気持ちよりも、「食べすぎて苦しい」という気持ちに自分の感情のフォーカスが行くから。リスカやOD、飲酒でも同じことが言える。
  3. 自傷行為をしている自分を見た他人に心配してもらいたいから。いわゆる「メンヘラ構ってちゃん」。

しかし、3に挙げたような「他人に心配してもらいたい」という気持ちが多少はありつつも、1に当てはまる「メンヘラ構ってちゃんになっている自分が嫌い」という矛盾もあって、ここでもまた、負の無限ループに陥っていると思う。だから、自傷行為や自殺未遂を繰り返していくんだろうな……。そして、あとから自傷したことを後悔して、また鬱になる。その繰り返しだ。

現状とこれから

11月の末に、ようやく新しい保険証が届いた。

保険証が届いてすぐに、自立支援の申請に行き、その足で病院へ行った。傷病手当金や、自分の今後に関する相談もした。復職するか、引っ越して生×保護を受給するか、実家に帰るかで今でも悩んでいるが、やはり、うつを治して社会復帰出来るのが一番いいのは自分でも分かっている。薬を飲むのを再開して、どうなるか一旦様子を見よう、という事になった。

今までの分に追加で、新しい薬も出してもらって、そのおかげかだいぶ楽になり、過食衝動や自傷行為も抑えられるようになってきた。ベッドの上でも出来るような、簡単な筋トレやストレッチなどの運動も始めて、ここのところ毎日続けられている。今まではベッドで横になってボーッとSNSを眺めたり、昼寝をする事しか出来なかったが、椅子に座ってゲームなどの趣味に励んだり、今こうやって文章を書くことにも向き合えるようになってきた。

新しい薬を出してもらってから、1週間と少し。先月の今頃は、「12月にもなれば貯金も底をつくし、家賃も払えなくなるし、こんなニート生活やっている底辺の人間なんて生きている価値がないからさっさと自殺しよう」なんて考えていたが、ようやく気持ちも楽になってきた今なら、もう少し生きられるような気もする。どちらにせよ、復職のためには鬱を治さないといけないな……。

私の我侭がもし、……もし何かの間違いでも叶うなら……。復職して社会復帰して、少しでも良いからお金を稼ぎつつ、誰かのお嫁さんになって、家事の合間に仕事に励むのが、今の将来の夢です。

そのためには、2020年も何とか頑張って生きていくしかない。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

生きていられたら、「自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2020」も、きっと書きます。

それではまた。