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欠陥人間の考えたことを綴っていくよ

青春の話

数年前の話をしよう。

正確な時期は覚えていないけれど、確か私が高校生か、それくらいの頃だと思う。当時付き合っていた初恋の恋人の家に遊びに行った日のことだ。いつだったかは忘れたし、もう昔のことだ。私たちはお互いに恋人として、同じ時間を何度も何度も共有し、後に悲しくも別離を迎えるわけだが、その日のことだけは、今でも少し鮮明に覚えている。

当時の恋人は実家暮らしだった。恋人の姉と母親がローンを組んで一軒家を購入し、その家に家族まるごと引っ越してから、よく遊びに行くようになっていた。愛知県の郊外の田舎で、その家の最寄駅は無人でコンビニすらなく、駅から家までは歩いて30分程度掛かった。

そのためか、恋人のご家族のご配慮で、私を迎えにその駅まで車で来ていただき、私と恋人を家に残して、そのまま買い物に向かうようだった。私は予定通り、駅で恋人と合流し、家に向かった。

家の玄関のドアの前まで来た時だっただろうか、道中で気付いたんだっただろうか……細かい部分は忘れてしまったが……なんと恋人が、家の鍵を持って来ていなかった事に気づく。家族は買い物に出かけてしまったため、留守で鍵の掛かったその家に入ることは出来なかった。

それなら、まだご家族は遠くに行っていないだろうし、電話して戻って来てもらって、鍵だけ開けてもらおう、という話になった。しかし、恋人は携帯電話すら家に置いて来てしまっていたのだった。

それなら私のスマホで電話掛ける……?とスマホを渡す。だが残念なことに、恋人は家族の電話番号を、なんとなくしか覚えていなかった。恋人と私は家の庭に座り込み、それっぽい番号を必死に思い出して、半ば当てずっぽうでダイヤルしていた。「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」「もしもし、××です(全く知らない人の苗字)」「……どちら様ですか?」そんな声が、私のスマホから何度も聞こえていた。

結局、家族には連絡が取れず、家に上がるのは諦めることにした。想定外の事態で、恋人は私に対して、必死で謝っていた。けれどまあ、思春期過ぎの恋人同士が家で2人きりになってやることなんて目に見えているし、私にとって、家に入ることは本来の目的ではなかった。同じ高校で知り合ったものの、私は途中で高校をやめているし、それぞれの住まいもかなり離れている。だから、恋人と一緒にいる時間、それを一番大切にしていたかったんだと思う。なので、家に上がれないことは、大して気にはしなかった。

——さて、ここは駅前にコンビニすらない、田んぼと畑と民家しかない僻地だ。何をしようか。

私にお金さえあれば、名古屋辺りまで出て遊んでもよかったんだと思う。けれど、それは今だから思えることであろう。当時の私はバイトもしておらず、財布はほとんど空っぽだった。それに、その地域ではまだ目新しい存在だったIC乗車券(manaca)にも、自分1人で家に帰るのがやっとの残高しか残っていなかった。そんな私に2人分の電車賃やデート代を肩代わり出来るような余裕はなかっただろう(しかも、相手の方がひとつ歳上だったし)。

結局、家族が帰ってくるまで、恋人の地元で時間をつぶすことにした。

私はその頃、旅行が好きだった。行ったことのない場所に行ってみること……いわゆる「冒険」をするのが好きだった。たまには、そんな童心に帰って遊んでみるのも良いと思った。

私たちは、家を離れて、広大な田んぼの中にある道路の、雑草の生い茂った狭い歩道を、他愛のない会話をしながらゆっくりと散歩した。コンクリートで固められたドブ川を見ては、この川はどこに流れていくんだろう、と考えたり。市の境界線の看板を飛び越えて、この市の紋章は何をモチーフにしているんだろう、と話したり。駅前に戻って公衆トイレに寄りつつ、史跡の案内図や模型の展示のようなものを眺めたり(こういう田舎の駅に限って、何故か駅前の広場がやたらと整備されていたりする)。遠くから見るとコンビニのように見えて、近くに来てみると実はヤクルトの配送センターだったり。はたまた、道路脇の空き地の雑草の中に放置されて、赤く錆びて朽ち果てた、真っ黒で小さな鉄道車両のようなものを見つけたりもした。のちにそれの正式名称が「車掌車」である事について知って、話したりもしたっけ。

「冒険」にも飽きて来た頃、私たちは、一旦恋人の家に戻った。しかし、まだご家族は帰って来ていないようだった。歩くのも疲れたので、戻ってきた時に見つけた、小さな神社の境内にある児童公園へと私たちは向かった。日が刻々と過ぎていくのを、ブランコに座ってゆらゆらと眺めつつ、ブランコを何年ぶりかに必死で漕いでみたり、鉄棒で逆上がりをしようとして、高さが低すぎて失敗して笑われたり。

その頃、恋人が実況動画を見るのに夢中になっていた、とあるゲームがあった。恋人はプレイ動画を見てはいたものの、実際にゲームをプレイした事はなかったという。私は実際に買ってプレイして、どハマりしてしまっていた。私は基本PCゲームはデスクトップでプレイする派なのだが、どハマりした事と、布教用としての意味も兼ねて、たまたまノートPCにもそのゲームをインストールしていて、持ってきているのを思い出した。その事について恋人に話すと、「やるやる!」と意気込んで、元気を取り戻してくれた。ブランコに座りながら、膝にノートパソコンを置いて、楽しそうにプレイしている様子を隣で眺めていた。その時間が、私はとても幸せだった。

そうこうしている内に、日は暮れ始め、ご家族も家に帰っていたようだった。家に戻ると、恋人がやたらと私の優しさを盛って、家族にその日の出来事を話していたような気がする。

それからのことは、何をしたかあまり覚えていない。

結局、その恋人には浮気されて、ある時戻ってきたかと思えば、挙句の果てには私の性別を「受け入れられない」と言われ、別れてしまったのである。もちろん私の方にも非はあったのだろうけど。

もうあの時間は返ってこない。

今の私は、あの時以上に無力で、貧乏で、自己肯定感をも失い、自分の性別すらよくわからないまま、大人になってしまったのだ。

今後の自分の人生において、あの時のような幸福感を得られることがあるとすれば、それは宝くじで一等賞に当選する程度の幸運だと思う。空っぽで回り続ける月日は、自分の生きてきた時間に比例してどんどん加速度を増し、もう2020年が目前に迫って来ようとしている最中。恋人も、仕事も、金銭も、自我も失った私はやがて、棲む場所を失う。持って数ヶ月だろう。きっと来世では、後悔せずに生きられますように、ちゃんとした大人になれますように。そう願って、残りの日々を過ごしていこう。

さようなら、私の青春。