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欠陥人間の考えたことを綴っていくよ

今日で人生を終えるつもりだった

時間の流れというものは残酷だ。気付いたら2020年も終わりを迎えようとしている。そんな私は明日、この世に産まれ落ちてから25年目を迎える事になる。

この記事は 自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2020 11日目の記事です。


何故このタイミングで人生を終えるつもりだったのかというと、自分の人生でやりたかった事をやり尽くしたから。それに、干支が二回りして、四捨五入しても20でいられる年齢だ。キリがいいじゃないか。25歳になっても独り身だったら自殺しよう、と決めたのは、去年か一昨年くらいだっただろうか。

作りたい芸術作品や、音楽を作った。音楽や芸術を仕事にするのは向いていないのは分かっていたから、Webデザイナーになりたくて、その夢も叶えた。念願の一人暮らしもした。ずっと着たかった服を着て、なりたかった理想の自分の格好もした。恋人と同棲して、専業主婦っぽい事もした。改名して、女性として生活をして、満足した。ほとんどの夢は叶った。充分幸せだった。

では、何故これ以上生きたくないのか。これも答えは簡単で、今後の自分の人生に幸せを見出せないからだ。

もうこれ以上生きていても、単に老化していくだけだ。歳を重ねる毎に、誕生日を迎えることがどんどん苦痛になっていく。もう「美少女」も名乗れなくなって、好きな格好も出来なくなる。

恋愛でも苦しみたくない。実のところ、これが今最も私を苦しめている原因な気がしている。私が心から愛している人と結ばれることがもう出来ない事も、私のような中途半端な身体の人間に価値が無い事も、充分に思い知った。そうしているうちに、周囲の同年代の人々は次々と結婚していく。元々友達の少なかった私は、彼らや彼女らと、友達として気軽に遊びに行くことも出来なくなり、私だけが世界に一人で取り残されていく、そんな気がした。他人の気持ちや心というものは、どれだけ努力しても手に入らないのだと思い知った。

鬱だったり、障害を持っていることもあり、たいして仕事も出来る方ではない。上を目指して金を稼ぎたいわけでも、金持ちになりたいとかもない。何よりも、これから先定年まで繰り返しの毎日を過ごす事になると考えると、苦痛で仕方がない。

でも、どうして死ねないんだろうか。今日、死ねなかったんだろうか。

一つは、いつでも死ねる事が分かったから。ODや首吊りなど、何度も自殺未遂を繰り返しているうちに上達した……、というのは語弊があるけれど、「こうすれば死ねる」というコツを掴んで、安心感みたいなものを得たのかもしれない。

もう一つは、まだ仕事があること。数ヶ月前、会社の倒産で職を失い、貯金が底をつき、節約のため外出したり遊んだりという事は全くしなかった。家に引き篭もって、箱買いしたレトルト食品を食べては寝て、たまに役所やハローワークに出向くだけの、何の楽しみもない毎日。その時は本当に自殺しかないと思っていた。けれど案外、仕事というものはその辺に転がっているものだった。これをこなすまでは、死ぬ事はできないだろう。

そして私はまた、「今日も死ねなかったね」と手首に傷を刻んだ。きっと明日からも、今後絶対に手に入らないであろう物や他人の心に、僅かな希望や運命があると信じ続けて、心と身体を自傷して、いつまでも生きるのだろう。