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欠陥人間の考えたことを綴っていくよ

意識を失って倒れて救急車で搬送された

週末はドライブで青森に行っていた。

その前日くらいにやたら体調が悪くなって、仕事を早めに切り上げたのは覚えている。メンヘラになって眠剤をODしたり、ろくな食べ物を食べていなかったりしたので、そうなるのも必然だったのかもしれない。流石に酒が無くなったからと言って、リステリン眠剤を飲んでいたのはやばかったと思う。

さて、東京の自宅から、本州の最北端・青森の大間崎まで、片道800kmくらいの道のりだ。めちゃくちゃメンタルがヘラっていたので、知り合いの車に乗せてもらって、気分転換に"地の果て"まで行こう、という感じだった。

土曜日の朝に家を出て、途中で休憩を挟みつつ、日付が変わって日曜日の夜中に目的地の大間崎に到着。楽しい道のりだった。美味しいご飯も食べたし、景色も綺麗だった。深夜の誰もいない地の果てで、潮風と波の音を浴びて、心地よいエモな気分に浸った。

帰り道、朝焼けを眺めつつ青森の中心部へ戻った。曲がりくねった道を走りながら、空が徐々に薄ら明るくなっていくのを眺めていた。

青森の中心部へ戻り、朝の4時〜5時頃だろうか。道路沿いのコンビニに寄った時だった。煙草を吸って車に戻ろうとしたのは覚えている。けれど、そこで私の記憶は途切れている。

一緒にいた友人によれば、突然ドサッという音がして、音のした方を見ると、私はコンビニの駐車場で倒れていたそうだ。声を掛けても返事がなかったようで、コンビニの店員さんにも協力していただき、119番してもらったらしい。

——気が付いたら、救急車の中にいたようだった。

夢を見ていたのか、記憶がこんがらがっていたのか、乗せてもらっていたはずの車のシートがいつの間にかベッドになっていて、ここは青森から次の目的地への道中だと錯覚した。しかし、車内を眺めると、知らない人がいて、沢山のよくわからない機械があった。なんとか意識を取り戻したのか、車の中で知らない人に突然「あなたは先程、意識を失って倒れてたんですけど、覚えてますか?」とか、「自分の名前と住所を言えますか?」と声を掛けられたような気がする。今になってその人は医者だったという事に気付いた。夢の中なのか、はたまた現実なのか、よくわからない状態になりながら、名前と住所を聞かれて、それっぽいものを答えたような記憶はあるが、果たして正しい自分の名前と住所を言えたのかは覚えていない。

とりあえず病院行きますか、というような話をされて、ピーポーピーポーという音を立てながら、車はそのまま私を乗せ、病院へ向かっていったようだった。意識が朦朧とする中、夢と現実の区別もつかず、えぇ〜私の為にそんな大袈裟な事しなくてもぉ〜……なんてことを思っていた。

病院へ着くと、そのまま担架で診察室に運ばれた。まずは心電図の機械に繋がれて、血圧をはかり、車椅子に乗せ替えられて、CTスキャン、レントゲンなどの検査をした。医療ドラマなんかで見たような物々しい心電図の機械や、血圧計を無造作につけられ、ここが現実と分かって、パニック状態だった。この心電図の波形がまっさらになったら私は死ぬのか〜なんてことを思った。医者には「何か薬を飲んだりしてますか?」とかも聞かれた気がする。軽くパニック状態になっていて、めちゃくちゃな言動や受け答えをしていたような気がするけど、それすらあまり覚えていない。何せ記憶の順序も、どこで何をしたかも曖昧だ。

検査の結果、特に目立った問題はなさそうだったが、血圧は高く、発熱もあったようだ。一応「帰ってもらって大丈夫だけれど、何か問題があれば地元でまた病院に行ってください」という話をされた気がするが、あまり覚えていない。その後、病室でしばらく横になって、3時間ほど休ませていただいた。

また友人の車に乗せてもらって、長い長い道のりを助手席でぼーっと眺めていた。まっすぐ帰る予定だったけれど、道中、タイヤがパンクしたり異音がしたりしたので、JAFや警察の方のお世話になったり、タイヤ屋さんで直してもらったりした。なんだかんだトラブル続きだったけれど、一生の思い出になったと思う。意識を失って、記憶はあやふやだが……。

そんなこんなで、日曜日の夜には無事に帰ってきた。病院の明細をもらって、金額に驚いたけれど、まあ救急車で運ばれる沙汰にもなれば、こんなもんなんだろうと思った。

今この記事を書いている時点で、わりと体調は良くなった。しかし、全身の筋肉痛や、頭痛と口内炎、倒れたときに出来たであろう見覚えのない手の傷と、頭を打ったところは痛む。

それに、以前自分が普段家で何をして過ごしていたのか、あまり覚えていない。そもそも自分の家が自分の家だという実感がないし、仕事でも何をしていたか、正直あまり覚えていない。何故だかはわからない。少しずつ記憶を取り戻しつつあるが、頭を打った数日後に症状が出ることもあるらしいので、あまりにも問題があるようだったらまた病院に行こうと思う。

とりあえず今日は仕事を休み、たくさん寝て、昼寝もして、カレーと油淋鶏と餃子と焼売などを食べたら、わりと元気が出た。

遠いところまで連れて行ってくれて運転もして面倒も見てもらった友人、助けてくれたコンビニの店員の方、病院の先生や看護師の方。本当にありがとうございました。眠剤酒煙草ばっか摂取してろくに食事を食べないと、突然意識を失って倒れて記憶障害になるので気をつけような(自業自得)。

やはり意識や記憶を失ってもメンヘラなので、ここまでして助けてもらって生きる価値が自分にあるのかな、なんて思ってしまう。それに助けてもらったからにはまだ生きないといけないな、とも思う。

とにかく今は、自分の家が自分の家であるという実感が湧かないのがつらい。暇な時は何してたっけ。普段何時に寝て、何時に起きてたっけ。寝る時は窓を開けてたっけ、閉めてたっけ。仕事は何をどんな感じで進めてたっけ。記憶が欠落してて、あまり思い出せないし、感覚がつかめない。なんとか普段の生活に戻りたいのだけれど、まあ落ち着くまでは暫くゆっくりしようと思います。

それではまた。

眠剤をODして自殺未遂をした

ここ数日、特に最近の3日分の記憶がほとんどない。

欠陥人間なのですぐにメンタルが終わっていた。安定剤もほとんど切らしていたので、ストックの眠剤を酒で流し込んではつらいことを忘れて、ふわふわした気分になって眠って、つらい気持ちを紛らわせていた。

私は個人的にこれを「ラリパ」(眠剤ラリラリパーティ)と呼んでいる。

手持ちの眠剤、特にハイプロンは副作用の健忘が酷くて、薬を飲んだ前後の記憶がなくなる事が多い。起きてからSNSのログや友人との連絡の履歴を見て、こんなの言った覚えがない……ということがしばしばあった。

毎日のようにラリパを繰り返して耐性がついてきたのか、ここ1週間くらいでどんどん量が増えていった。最初は1錠ですぐラリって、横になってスマホを弄っているうちに幻覚や幻聴に包まれて、気がついたら寝ていたが、次第に2錠、3錠でも眠れなくなって……、眠れなくなる度に追加で眠剤を入れていた。

6月6日の昼くらいに、9%のストロング缶で眠剤を流し込んだようだった。そこからの記憶はほとんどない。自分のメンタル的に仕事が上手く行っていなくて、めちゃくちゃ死にたくて、ドアノブ首吊りでもしようかと考えていたような気がする。

日付が変わって6月7日。SNSのログを見たら、午前1時頃にコンビニに行ってウイスキーや追加のストロング缶を買ってきていたようだった。もちろん、コンビニに行ったことなど、ほとんど記憶に残っていない。多分、そこからまたラリパをしていたと思う。6日から7日にかかて、トータルで20錠以上の眠剤を飲んでいたようだった。

夜中に何度か夢を見て、起きたり寝たりを繰り返した。仕事も出来ないし、突出して見た目もスタイルも良くないし、性別も不詳だし、恋人もいないし、欠陥人間な自分のことが気に入らなかった。自分の事なんてどうでも良かった。朝の8時頃に、またストロング缶で10錠以上の薬を一気に飲んだようだった。人生でやりたい事はもうやり尽くしたし、いつ死んでも良いと思っていた私は、死を決意して「今までありがとう、幸せだったよ」といったメッセージを各所に送りつけていた。

そこから、死んだように眠り続けていた。私の記憶の中では、それ以降は中途覚醒してもラリパはしなかったと思う。心配した友人が何度か電話を掛けてくれたようだったが、眠っていて気づかなかった。昼過ぎから夕方頃に掛かってきた電話でようやく気づいて電話に出たが、相手が何を言っているのかは分からなかった。

その数分後くらいだっただろうか、家のインターホンが鳴った。誰だろうか、と思ってインターホンの画面を覗くと、その友人がいた。突然のことで驚いた。水やコーラを買ってきてくれた。

そこでようやく目が覚めて、一緒にお菓子を食べたり話をしたりした。まだラリ状態だったので色々なところに身体をぶつけたり、レトルトカレーやお菓子を食べようとして盛大にこぼしたりしていた記憶がある。多分、花金の夜の酔っ払いのような状態で、物凄い醜態を晒してしまったと思う。友人との会話の内容はほとんど覚えていないが、恐らくその友人がもっとも伝えたかったであろう核心の部分は幸いにも記憶に残っていた。良い友人がいて、メンタルもフィジカルも救われた。

友人が帰った後、すぐにまた死んだように眠った。次に気が付いた時は翌日の朝だったので、15時間くらい眠っていたのだろうか。夢と現実を混同していて、一人暮らしの自宅ではなく、母親の実家のベッドにいると錯覚していた。自分の家の間取りすら忘れて、起きて居間に行ったら家族に酷く叱られると思った。貧血状態で、生死の境を彷徨って必死に手足を動かしたり、脈が止まりそうになったり、頸動脈が悲鳴を上げていて、ああ、ようやく死ぬのか、と思った。

なんとか起きて、ここが自分の家である事を思い出した。とにかく栄養を摂取しようと思って、ストックしてあったレトルトカレーを食べて、ビタミン剤のサプリメントや野菜ジュースをたくさん飲んで、寝たり起きたりを繰り返した。

ようやく薬が抜けてきて、布団から出ると色々なところに痣や擦り傷ができているのに気がついた。ラリパをした時は、よく夜中にピンボールブロック崩しのように壁にぶつかりながら御手洗いに行ったり追加の酒を飲んだ記憶がうっすらとあるけど、実際にアザや傷を見て、ここまで酷いとは思わなかった。

さて、生死の境を彷徨って、今なんとか生きているけれど、何をして生きたらいいのかわからない。とりあえずシャワーを浴びて、買い物に外に出たら涼しくて、少し気分がすっきりした。けれど、今ですら死にたい気持ちは変わっていないし、きっと私の「死にたい」という気持ちは、生きている間ずっと付き纏う感情だと思う。実際、生きるのに向いていない体質だとも思う。

しかし、自分がこの世から去ろうとしたとき友人は「自分の友人すら救えなかった」と嘆き悲しんでいたようで、そんな思いはさせたくないとも思った。それでも大して仕事もできないし、やりたい事もなくて、どうしようと途方に暮れている。まあ仕事もお金もないけどクレカの枠は残っているので、あと数ヶ月は生きてるかもしれません。なんかラリパ中にノリでクレカの増枠申請をしたら通っていたし、しかももう一枚クレカを契約していたし。

あと東京に来てからメンクリに行ってないのでさっさと行ったほうがいいですね。メンクリのリセマラするのにもメンタルがやられるし、なかなか辛いものがある。行くお金もないし。

来世では美少女に生まれ変わって、歌を歌ったり写真を撮られたりする感じでお金をもらって生きていくか、猫かドールあたりにでもなりたいですね。ドールになれたら一番いいかな。老いて朽ちる事のない永久の身体になって、それこそ孤高の創世といった感じになりたいですね。

それでは、生きているうちにまたお会いしましょう。
さようなら。

あらためましてのハローワールド

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眼鏡を作ってもらった

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