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欠陥人間の考えたことを綴っていくよ

自分を大事にするって

あるお嬢様は言った。「自分の大事なものを大事にできないやつは、いつか何もかも失うんだぞ」。

ある夫は交通事故で何もかもを失った。夫婦喧嘩の度に、「相手を負かすために傷つけるようなことも言った」顛末だった。

理由はよく分からない。けど、世の中はそういう仕組みになっているのかもしれない。では私は、自分の大事なものを大事にできていただろうか。大事なものを酷く言ったり、貶したりしていたのではないか?

一番大事な趣味ですら、貶していたかもしれない。例えば、「音楽なんて金がかかるだけ。音楽をやっても努力と承認欲求の満たされ方がわりに合わない」とか。

はたまた、自分のことですら最低な欠陥人間だと思っているし、しょっちゅう自虐や自傷をしていた。

べつに、音楽なんて大事じゃない。自分なんて大事じゃない。……本当はそう思いたかった。大事にしないといけないのは分かりきっていた。なのに貶してしまう。

だから、何もかもを失いかけた。自分の生命や、他人から注がれる愛ですら。

では逆に、私が大事に出来ていたものって、何なんだろうか。

その問いの解は、すぐに分かった。「何があっても、自分のことを精一杯愛してくれる人」だった。大事だから、貶したり、傷つけたりはしない。他人に悪く言ったりもしない。少なくとも、いまは、そうだ。

私が、ほんとうに大事に出来るものは、それくらいしかないと思った。大事なものを大事にしたら、なんとなく、自分のことも大事に出来るような気がした。だって私は、大事なものを愛しているし、それに愛されてもいるから。

私の大事な人は沢山いる。けれど、自分のどれだけ大事な人でも、相手から大事にされないなら、身を切ってまでその人を救うのは、もうやめよう、と思った。人間が救える人の数には、限りがあるんだと知った。その数は、ただでさえ余裕がない私には、ごく限られていると思った。何もかもを失う前に、少しでも、自分と、自分を愛してくれる人のことを、大事にしようと思った。

だから私は、不必要に人に救いの手を差し伸べるのは、もうやめる。


気がついたら、缶チューハイを途中まで飲んで、灯りをつけたままベッドに倒れ込んでいた。浅い眠りを、繰り返していた。

4時なのにもう外が明るくて、鳥のさえずりが聞こえた。初夏の東京の朝は、こんなにも早い。それが、なんだか面白おかしかった。私は、飲みかけの缶チューハイを空にして、また布団に潜り込んだ。